パーソナル市場ではじめて、「グラフィックス(160×100ドット)」が可能となった、銘機PC8001。1979年発売。CPUはμPD780C-4MHz(ザイログZ80互換)。RAMは16KB。 |
(この写真は、木村先生のご好意で転載させていただきました)
時代はパソコン通信に移って、PC−VANや、Niftyなどの文字通信系のパソコン通信が主流になり、スリムなノートを購入。これはPC9801N。CPUはNEC社製のV30(10MHz)。 |
DOS/V雑誌が次々と創刊され、時代は徐々にDOS/Vの息吹が。。。 |
いわゆる「モバイル」黎明期のウルトラ銘機。ヒューレートパッカード社のHP200LX。英語版だったのを、日本のユーザが、みんなで日本語化した、歴史あるパソコン。後ろにあるのは、サイズ比較用の音楽CDです。かばんに入れてることも忘れるくらい軽い!(312g) |
当時最新鋭のOSだったWindows95が走る、こんなに小さいPC(Libletto20)が出てしまったので、平常心を完全に失って購入してしまった。自分がちいさいものに極端に弱いのにようやく気づいたのも、この頃。パネル右下の「リブポイント」は、マウスの代わりで、裏側にマウスの右&左ボタンがあるが、私が買ったやつは、極端に操作性が悪く長時間使っていると指がつりそうになった。 |
パソコンなんてもっと小さくても良いんじゃないの?と思ったときに出たのがIBMのChipCard
VW-200。 母艦のカードスロットに差すことで、親機のデータやプログラムを読み込ませることができ、胸ポケットにすっぽり。 これがモバイルの究極だと、熱くなったが、唯一かつ致命的な欠点が空気電池を採用したこと。軽量で大電流を生成できる画期的な電池だったが、使ってなくても自然に消耗するっていう特性が納得いかず(住所録見ようかなって胸ポケから取り出すとたいてい電池がなくなっている)、やがて携帯電話にその座を奪われる。 |
この当時、周囲のパソコン初体験の友人たちが驚くほどの低価格で、私のPCを完全に凌駕する高速PCを、次々に手に入れ、かなりストレスがたまっていた。 リベンジしようにも、名古屋の入荷はまだ遅かった時代だったので、大阪日本橋にアベニール号を乗り入れ、ぷっつりきた頭で、最新マザー(ASUSTeK P/I-P55T2P4)を筆頭に、最新パーツを全部仕入れて、自分で組み立て、当時最高級(Pentium166MHz)のフルタワー機を立ち上げた(のちに下駄を履いてAMD P6-2 400MHz)。 胸がすかっとしたが、2週間後に200MHz機が登場し、母艦の天下はあっけなく終了した。 完全SCSI、フラットスキャナ、フィルムスキャナ、ミニディスク、携帯電話、ターミナルアダプタ、CD-R/W、カードドライブ、カラープリンタ、デジタルオーディオ、ペンタブレットと、つながってる周辺機器があまりに多いので、もう完全に再インストールする自信がない。 |
長文メール書いたりなど、文章を考えようとすると、母艦の前に正座するのはちょっとつらい。(和室においてあるので。)それで、買ってしまったのが、NECモバイルギアMC-R500。 |
自宅のケーブルテレビがようやくインターネットできるようになって、常時接続機に選んだのがこれ。DELL Inspiron2000。 スピードは必要ないので、P3は止めて、バッテリーの持ちがいいCeleron400を選択。 フロッピーやCDは外付けなのに、PC-CARD(スロット2)、LAN、モデム、外部CRT、パラレル、PS/2マウス、マイク、スピーカ、USBは全部標準コネクタで直結できる。レガシーデバイスを大事にしているところに、とても好感をもてる。液晶もまあまあ。 ひざに乗せても足がしびれてこない1.6kgで、仕事に使ってるデスクトップ機以上の性能があるとは恐ろしい時代になったものです。 ほんとにこの性能で300gになる時代が来るのかもしれません。 |
こうして並べてみると、同じようなものをいくつも買って、いったい何が面白いのかと思う向きもあろうかと思います。あるいは、「モバイルコレクター」とか「おたく」とかいう「物欲主義」に対する責めも避けられないのかもしれません。 けれど、それぞれの1台には、何万人・何十万人もの人間が関わっていて、「どうやって、その機械を使いこなすのか」とか、「こうすれば、もっと銘機になるのではないか」というユーザ同士の苦闘の歴史を共有するライブな感動を少しでも知っていただければ、「買わずにいられない」、「手放せない」、という、お馬鹿な気持ちも、少しは分かっていただけるのではないかと思うのですが・・・・・ |